7年間売れずにクビ寸前だった僕が社内No.1営業と副業収入16万を同時に得て人生キャリアが幸せに変わった話
「なんでいつも売れないんだよ!!」
「何年この仕事してんだ!!」
「新人に対して恥ずかしくないのか?」
得意先訪問を終えて会社に戻り
その日の売上報告をした僕に向かって
怒りで鬼のような形相になった部長は、
目の前に立ってうつむいている僕に
ツバをかけながら怒号を飛ばしてきた。
「…すみません。」
力なく、か細い声で
答える気力しか
僕には残ってなかった。
これが僕の日常。
大手製造メーカーの営業マンとして
働いていますが、
常に売上は予算未達。
500人いる営業マンの中で
万年最下位。
7年間も売れない営業マンをやってると
人は腐っていきます。
・社内での立ち位置は無くなり
・誰からも相手にされなくなり
・信頼はゼロ
おまけに後輩には
「ルークさんって使えんよな。」
「給料泥棒やん」
と陰口を言われたり
(自然と耳に入るもの)
事務員さんからの評価もキツくなる。
「ルークさんって暗いよね」
「何考えてるかわかんない」
お昼休憩で僕の話題になってたこと、
敏感な僕は気づいてました。
そんな毎日を繰り返すうちに
得意先訪問恐怖症になってしまった。
いわゆる、売れないことで
輪をかけて自信を無くし、
怖くて営業先に訪問できなくなるんです。
得意先に行く勇気がないから、
「営業行ってきます!」
と会社を後にしても、
近畿道の岸和田パーキングエリア
に社用車を停めて
午前中はYouTube見ながら
コーヒーとタバコで時間を潰す。
午後から場所を移動して
和歌山パーキングエリアで昼寝をし、
夕方になってから帰路へ向かう。
(得意先訪問はしていない)
でも、営業部長に会うのが嫌だから
あえて21時過ぎまで近くで時間を潰し
部長が帰った頃を見計らって
会社に戻る。
誰もいないオフィスで
一人うなだれて嘘の日報を書き、
誰もいない家にトボトボ向かう。
スーパーで半額の惣菜を買って
缶ビールで流し込み
明日が来るのを呪いながら
夜明けまでシリーズものの
海外ドラマを見て現実逃避。
(24とかプリズンブレイク)
「はぁ。明日もどうやって
やり過ごそうかな…」
こんな日々を送っていました。
こんな7年間を過ごしたおかげで
僕の心はすっかり腐りきり、
ますます仕事はサボるように。
そんなある日…
僕は超大失態を犯してしまうんです。
なんと、
僕の担当企業の中で
1番の売り上げを誇る
上得意先から
取引停止を言い渡され、
会社に対して
2,000万円の損失を出してしまった。
に、に、2,000万…。
やってしまった…
と思うと同時に、
「あ、俺クビになるわ。」
って冗談抜きで思いました。
サボっていた和歌山パーキングエリアで
電話で取引停止の一報を聞いた時は
ガラケーを持つ手はブルブル震えてきたし
額と脇、背中からジトッと生ぬるい汗が
止めどなく出てきたのを覚えています。
どんな受け答えをしたかさえも
覚えていません…
それだけ焦っていたんですよね。
取引停止の理由は色々あるけど、
要するに僕のせい。
仕事の応対の仕方、ミスの連発、
得意先との関係作りなど
普段の僕の仕事に対する姿勢に
取引先が痺れを切らして
ライバル会社に年間契約を
丸っと入れ替えられたんです。
「あー、マジでやっちまった。」
普段売れなくて
営業成績が万年最下位のヤツ。
それに加え2,000万の損失を出すなんて
社員としてはあり得ない。
役立たずなんて通り越して
会社に居たら迷惑なヤツ。
経営陣からしたら、
「もう辞めてくれ。」
ですよね。
僕が社長ならそう思います。
「クビになるくらいなら
自分から辞めてやるわ。」
そんな気持ちがフツフツと。
この7年間で蓄積した
僕の心のダメージと
自分への劣等感、情けなさ。
うまくいかないもどかしさと
苛立ちで
もう、どうでも良くなった。
「もうこの会社では無理やわ。」
そう思った僕は
その日のうちに辞表を書いた。
そこから数年経ち、現在の僕は…
そんな売れない営業マン時代を
過ごしていた僕ですが、
あるキッカケがあり、今では
- 3年連続社内MVP受賞
- 顧客満足度評価星
- 年間3億円売上
- 社内プレゼンアワード優勝
社内での評価はぐんぐん上がり
一気に注目の的に!笑
(辞めずに済んだ)
あれほど嫌だった仕事が、
辞表を書いて辞める寸前まで行った僕が
今では楽しんで仕事をしている上、
さらに、副業でも軌道に乗り
月16万円を作れるほどに。
あの頃とは180度変わりました。
何もかも。
会社の仕事もうまく行って
ビジネスも順調に進んでいる。
↑
これ、マジで最高の人生。
売れる営業マンにさえなってしまえば
みんなチヤホヤしてくれます笑
違う部署の全く知らない人に
会議で初めて会った時に
「ルークさんって
MVP獲った方ですよね!」
とか、
「あの全国プレゼンで話してた内容
めっちゃ共感しました!
真似させてもらいます!!」
って声かけられるようになって
承認欲求が満たされる笑
会議でボソッと僕が発言すれば、
(あのルークさんが言うなら間違いない)
と
別にフツーの意見を言ってるのに
えらく納得や共感してもらったりする。
”なんだよ、数年前まで
俺のこといじってたくせに。
売れたら手のひら返しかよ。”
…って思いますが、
今はそんな社内の立ち位置も
心地良いです。
副業で始めたコンテンツ販売でも
最初こそ上手くいかなかったけど
今は商品を作ってリリースすれば
10〜15万は売れるようになって
会社の給料に大きな上乗せができた。
合算すれば、おそらく上司や10年先輩と
同じような月収じゃないかな?
こないだも車検に行ったけど
16万ポンっと払えたし。
(稼いだから実質タダやん!)
副業してなかったら、
車検とか税金とか
泣く泣く給料から搾り出してたと思う笑
普通のサラリーマンって
日曜日の夕方になると
「あーもうこんな時間かよ」
「月曜日もう目の前やん」
「いきたくねーな」
「仕事たまってないかな?」
「あのハゲ上司の顔見たくないな」
なんて、いわゆる
”サンデーブルー”になる人いますが、
僕はそんなことない。
7年前に比べて、
営業の仕事も楽しくなったし
社内では認められて居心地がいい。
得意先との関係も良好に築けているから
仕事に行くのは嫌じゃないんです。
珍しですよね?
会社員なのに。
結局、
会社の仕事もうまく行って
ビジネスも軌道に乗れば人生幸せ
ってこと。
だからいま、
ほんと毎日が楽しいし
充実しているんですよね。
腐ってた心は今はどこ。
いったい何があったのか?
どうしてそんなに変わったのか?
今回はそんな僕の自己紹介と
あの辛い過去からの奮い立ちを
書いていこうと思います。
吹奏楽漬けの日々と重たいパートさんの一言
これまでの僕の人生は「音楽」
で成り立っていました。
中学から高校、大学
そして社会人になっても
ずーっと吹奏楽をやってたんですね。
3歳からピアノをやっていて
その流れで中学入学と同時に
吹奏楽部へ入部。
トロンボーンを吹くようになって
僕の生活は吹奏楽一色でした。
吹奏楽の世界には
野球で言う甲子園があって、
吹奏楽をやっている人は全員、
「普門館」という
甲子園を目指すんですね。
(今は会場が変わったけど)
全国で何千という学校の中で
その檜舞台に立てるのは
せいぜい20校ほど。
一生に一度でもいいから
その舞台に立ちたい!と
みんな必死です。
そんな世界にいました。
※吹奏楽については
熱くなりすぎて語りきれないので
別の記事を書きますw
なので、僕が大学を選んだ基準は
学歴でも就活でも将来を見越してでもなく、
”吹奏楽が強い学校” でした
吹奏楽コンクールの全国大会の
パンフレットを過去10年分眺めて、
毎年金賞を獲っている学校を調べ
関西で一番強い大学に入学しました。
おかげで全国大会まで行ったし、
アマチュアでは不可能と言われる
・サントリーホール
・ザ・シンフォニーホール
・京都コンサートホール
など、世界のプロの演奏家だけが使える
有名なコンサートホールで
演奏することもできました。
そんな音楽しかやってこなかった
吹奏楽バカは
就活も真剣に考えてませんでした。
そもそも部活で選んだ大学で
進学校でもないから
有名な大企業なんて入れっこない。
最初から諦め気分に加え、
当時は就職氷河期真っ只中だったので
とにかく卒業後に働き口があればいい
という感じで就活してました。
(今は後悔…あの時ちゃんと就活しとけば)
たまたま最初に受けた
自分の地元に本社がある
ホームセンターに受かったので
そこに入社。
僕の社会人生活がスタートです。
仕事はまぁ楽しかったです。
3,000坪くらいある
大型ホームセンターって、
何万種類も商品があるから
大きく15部門くらいに分けるんです。
僕はその中でも
農業肥料・農薬・ガーデニング
衣料品・ペット用品・木材・資材
などの
ホームセンターの利益主力品を
扱う部門に配属されたんです。
当時ついてくれた先輩が
めっちゃ仕事できる人で、
とにかく丁寧に教えてくれました。
例えば
1年のうちにたった1週間くらいしか
売れないけど、
その期間だけ
お客さんが殺到する
マニアックな農薬があるんですよ。
その期間に店頭にあれば爆売れするけど、
タイミングを逃せば売れなくなって
在庫が残ってしまう。
そんなハイリスク/ハイリターンな商品。
しかも、気候や農作物の出来によって
売れるタイミングが毎年変わるんだけど
データの見方や農家さんからの情報収集、
気候の変動やどれくらいの需要が見込めるか?
など
とにかく色々教えてもらいました。
で、ベストなタイミングで店頭に並べ
ドッカーン!!と見事的中。
豊富に仕入れた在庫も全部売れ、
チャンスロスもなくガッツリ利益確保。
そんな成功体験も積みました。
その先輩のおかげもあって、
僕はみるみる成長!
なんと入社1年後には
その先輩と同じポジションである
【グループリーダー】に昇格。
翌年の新入社員の入社式には
僕が先輩社員代表として
祝辞をするほどにもなったんです。
社内のパートさんとの関係も良好、
上司にも恵まれて仕事は順調でしたが、
唯一しんどかったのが
「時間」でした。
毎日7時半には店について
出るのは22時過ぎ。
早番・遅番なんてありゃしない。
一応あるけど、自分で自分の首を絞める。
発注や品出し、売り場のメンテナンスや
客注対応など
なかなか人に任せるわけにもいかない。
そうなると、
休みの日に出ていって対応したり
早朝・深夜関係なく仕事してしまう。
シフト制なんで
休みは直前まで決まらないから
友達や彼女との予定も組めない。
みんな土日休みだから
飲み会にも行けない。
せっかくの休みも
日々の疲れが溜まって寝るだけ。
ある時
パートのお姉さんに言われたんですよね。
私、この会社の人とは絶対に結婚したくない!
え?なんで??
だって毎日疲れてるやん。
遊びに行っても元気ないし、休みの日でも常に仕事のことばっかり心配して楽しくないから…
あ、うん。そーやんなぁ…
なーんも言い返せなかったですね。
ほんとその通り。
仕事は一生懸命やって楽しめても
休みの日は力尽きてる…
家と会社の往復なんて言われるけど
まさにそれ、俺のことやん!!
って実感。
将来このまま昇格していっても
次長
↓
店長
↓
エリアマネージャー
↓
バイヤー
規模が大きくなるけど
やることは一緒。
結局時間は無いんだ。
「あ、これ、このままやってても
生活リズム変わらないわ」
そう悟った僕は、
入社から2年ちょっとで
辞める決意をします。
そうなったら気は早いもので
再就職先を探し始めます。
「もう小売業は絶対にやだ!」
という思いで
・土日祝休み
・年間休日120以上
・メーカーor販売会社
・法人営業
これを最低条件にしました。
そんな中、
ウチの店と取引のある
産業機器メーカーの営業マンが来店。
これまでの付き合いで仲良かったので
転職の話をチラッとしたところ、
「うちの会社受けてみたら?」
「ルークさんのことオススメしておきますよ」
との嬉しいお言葉!!
これまでの取引と良好な関係、
扱う商品も知っている、という強みもあって
紹介頂けることになりました。
そしてコネのおかげで笑
無事採用となり
再就職も難なくクリア。
その産業機器メーカーで
働くことになるのですが…
そこから地獄の日々が待っていたんですよね。
手取り16万の売れない営業マン時代と学び始めたきっかけ
期待の新人として入社。
前職での評価もあったし
商品も扱っていたので
「即戦力」として見られてました。
まぁことごとく裏切っていくんですが笑
ほんと売れなかったですね。
まずカルチャーショックだったのが
小売業と営業の販売スタンスの違い。
小売業って、
お客さんの方から来店
↓
店員が商品説明して買ってもらう
っていう流れですよね。
でも営業って、
0の状態から訪問
↓
商品を提案して買ってもらう
という流れ。
受け身の仕事ではなく
攻めの仕事になるんですよね。
要するに
”今までとは逆の立場”
小売業の場合、
基本的にお客さんは
商品が欲しくて来店します。
なので僕たち店員は
適切に商品説明ができれば
売れるんです。
でも、営業の場合、
”お客さんはそもそも
商品を欲しいと思っていない”
いわゆる0の状態です。
・商品に興味もない
・僕のことも知らない
・必要だと思ってない
・買ったら何が良くなるか知らない
・買わなかったらどう悪いか知らない
ナーンも知らないんですよ。
これが大きな違い。
これまでの小売業では
ちょっと自信ありました。
スピード出世したし
祝辞を述べるほど同僚と比べて
目立ってたし。
営業なんて
「やればいけるっしょ!」
くらいの気持ちでした。
(この考えが甘かった)
立場が変われば
こうも売れないか、と言わんばかり
とにかく売れませんでしたね。
鳴り物入りで入った割に
成績が伴わないと
みんなの態度も変わっていきます。
そりゃそうですよね。
期待を裏切ってるんだから。
このブログの冒頭で書いたような
部長の怒号、後輩からの陰口
事務員さんの冷たい目。
そんな毎日に変わっていったんです。
更に、ウチの会社って
営業成績による
給料インセンティブの割合
が大きいんですね。
売れる人なら40万50万って貰えるけど
僕みたいに成績がビリだと
”手取り16万” なんです。
新卒の初任給より下やん…
頑張ったバイトの給料やん…
前職よりめちゃ低いやん…
休みや働く時間は前職より改良したものの
お金は全然なくなりました。
だって、
その当時の毎月の出費が、
- 家賃…2万(補助あり)
- 結婚式ローン…5万
- 車…4万
- 食費…5万
- 光熱費…1万
- 保険…1万
- 携帯・ネット…1万
- 雑費その他…1万
合計20万!!
生きてるだけで
毎月20万円が出ていきます…
手取り16万なら
毎月マイナス4万。
これが1年続けば
マイナス48万。
僕、7年間売れない営業マンだったんで
この間300万くらい損失しました。
前職で貯めたお金、
ボーナスやこれまでの貯蓄、
ぜーんぶ無くなりました。
こんな惨めな現状、嫁にも言えない…
週末のランチやたまの記念日のディナーは
スシローやステーキガストがギリ。
年に2回くらい行けてた旅行も
「忙しい」を言い訳にして行かなくなる。
(ほんとは金ない)
お金がないから心の余裕も無くなって
日々の笑顔が減っていく。
食卓で会話ができない。
いつもどこか不安な顔をしている僕を見て
嫁も楽しいはずはないですよね。
「どうしたの?なんかあった?」
薄々気づいての質問にも
「いや、最近疲れてるだけ…」
なんてバレバレの嘘でごまかす。
そんな毎日でした。
・営業成績なんとかしてあげるしかない!
・副業でもやってマイナスを埋めるか?
フワッとそんなことを考えてる時に
起こったのが
あの冒頭の大事件ですね!
2,000万の損失のやつです。
仕事がうまく行かないこと
お金がないこと
自分に自信が持てないこと
色んなことが重なって
もう諦めていたあの日。
辞表を書いて
スーツの内ポケットに入れて出社した日、
突然ある先輩に声かけられたんです。
当時、売上成績No.1の方でした。
「ルーク、今日飲みにいくぞ。」
ガヤガヤとした店内
周りのサラリーマンは
ビール片手に笑い声をあげ
楽しそうに金曜の夜を過ごしている。
口を真一文字に結んで
覇気の無い顔をしている僕に
先輩が言った一言が
今でも鮮明に覚えている。
周りの喧騒が
一瞬静まり返ったような
衝撃を受けた感覚だった…
営業成績を上げたかったら
文章で人の感情を動かすことを学びな。
「え?営業なのに文章ですか??」
*
*
*
この質問が全てのスタートだった。
その先輩が言うには
「文章だけで人を感動させるのは難しい
文字だけだとこちらの感情を伝えられないだろ?
こちらが伝えられなければ
相手の感情も動くはずがないんだ」
「対面営業なんて一番簡単だよ
こちらの表情・話し方・印象で
お互いの感情のやり取りはできる」
”だからまず
一番難しい文章を学べ”
「セールスライティングの知識があれば
対面営業なんて引くほど楽になるぞ」
*
*
*
頭をガッツーーーーン!と
金槌で殴られたような
衝撃がはしったんです。
先輩は薄々気づいていたんですかね。
僕が万年売れずに死にそうな顔をして
もう辞める寸前まで行って
自暴自棄になっているのを。
見かねて飲みに誘いながら
アドバイスをくれたんです。
一見かけ離れているような
【営業とライティング】
・人を動かす原理は同じ
・文章を極めれば感情を動かせる
・感情を動かせたら営業で活かせる
そう教えてもらって
その日から必死に勉強しました。
主に本を読みまくったり
セールスライティングに関する
教材も買って学びました。
YouTubeでTEDなどのトーク構成を盗んだり
学んだことを自分で録音して喋ってみたり。
社内で募集してた営業研修も積極的に参加、
社外でのセミナーも受けまくりました。
(情報を求めてアムウェイの
セミナーに参加したことも!笑)
そんな毎日を繰り返していたら
どんどん分かってきたんですよね、
人の心理が。
・どうやったら人の感情が動いて
・どうやったら欲しくなって
・どうやったら買ってくれるのか?
ちゃんと言語化できるようになっていったんです。
例えば、
こういう人の心理だったり
↓訴求のやり方ですね。
興味ない人に興味を持ってもらう方法も
学んだおかげで
どんどん営業スキルもついていきました。
こうやって学んだ知識を
営業に活かしていった3年後、
- 3年連続社内MVP受賞
- 顧客満足度評価星
- 年間3億円売上
- 社内プレゼンアワード優勝
(その先輩と表彰台が一緒の時も)
数々の賞を受賞しただけでなく、
社内での評価、立場も180度変わりました。
ようやく苦節7年が報われた瞬間でした!!
手取り16万は脱却して
なんとか毎月マイナス生活も終わり。
お金の面での心配は少し減って
ようやく奥さんとの笑顔の日々が戻りました。
そして、この知識と経験を持って
ビジネスの世界にも足を踏み入れていきます。
会社の仕事で成果が出た次は、
それをビジネスで活かそうと思ったんですよね。
もし、副業収入も得られたら
インセンティブ給料の不安もなくなるし。
これだけ苦労して成り上がったんだから
ビジネスの世界でもうまくいくやろ!
そんな気持ちで
情報発信の世界に飛び込みました。
希望に溢れてたけど結果が出なかった「仕組み化」
僕が情報発信の世界に飛び込んだのは
今から4年前。
当時の情報発信の世界と言えば
【仕組み化】全盛期でした。
”ビジネス=仕組み化”
と言われるほど、
どこもかしこもシクミカシクミカ。
特にわっきーさんの影響力が凄まじく、
当時の大手実力者はみんな
わっきーさんの教材で学んでいました。
そんな人が多かったからこそ、
仕組み化の情報も多かったんだと思います。
ちなみに仕組み化とは
Twitterやブログを作って
集客をする
LPやメルマガに人を集める
メルマガでステップメールを使って
商品や自分に対して価値を感じてもらう
自社教材・アフィリエイト商品など
PayPalやStripeなどの決済手段
購入者のフォローメルマガ
バックエンドの誘導など
ざっくり言うと
この流れを全て作って、
メディアで自動で動くようにすることです。
えぇ、作りましたよコレ。
大変だったー。
0から3ヶ月くらいかかったんじゃないかな。
わっきーさんのコンサルを受けている
Kさんという方が出してた
5万円の「仕組み化教材」
今考えても
めちゃめちゃいい教材でしたけど、
これで見よう見まねで
仕組み化を完成させて
いざ販売スタート!
「よっしゃこれで俺も
不労所得じゃー!!」
って息巻いたけど、
誰も仕組みに入ってこない。
人が流れてくれない笑
なぜかって、
「集客」できてないんですよ。
そもそも、
こんな一般人のブログなんて
SEOから大量に入ってくるわけなく、
X(当時はTwitter)は140文字だけで
今とは全然使い方が違う。
インプもわからないから
つぶやいても反応無し。
LP付きのツイートをしても
そもそもリンクを踏んでくれない。
だからブログやTwitterから
メルマガに入る人がいないんですよね。
そーなれば
ステップメールも動かないし
商品が売れるわけない。
”えー!!!
あんだけ3ヶ月苦労して作った
仕組み、動かんやん。”
です。
今までの苦労は何だったのか?
仕組み作れば自由が手に入るんじゃなかったのか?
努力が水の泡や…って落胆しました。
そこからはとにかく
量をこなしましたね。
ガムシャラにやれば
なんか変わると思って。
挫折するわけには行かないから
とにかくツイートの量を増やしたり
YouTubeをあげまくったり
ブログ書きまくったり。
営業系のYouTubeがバズって
実は登録者1,000人超えてます笑
(今は非公開です)
ガムシャラが少し効いて
メルマガ読者も40人は超えた。
用意してた商品もポコポコ売れるようになって
たまーにだけど19,800円のフロント商品や
79,800円のバックエンドが売れるように。
まぁ、でも全然安定しない。
集客も売上も満足いかなかった。
どうすれば上手くいくか?
分からないなりに
継続だけはしてた感じですね。
そうそう、僕が参考にしたKさんの
「仕組み化教材」
これもアフィリして
この時、コンサル生2名取ったんですよ。
女性2人。
うまくいっていない僕だったけど、
「仕組み」は作っていたから
それを教えることは出来た。
彼女らも仕組み作りに苦労したけど
一緒に協力して何とか作れたんです。
ただ、やっぱり結果が出ない。
仕組みは作れたけど、一向に売れない。
せっかく僕の元に来てくれたのに
成果を上げられなくて申し訳なかったですね。
やっぱり、自分ができることは教えられるけど
その逆は無理。
僕だって仕組みを作れたけど
満足に売上が上がってたわけじゃない。
そこを質問されても
答えられないんですよね…
あ、これ後日談なんですが
その2人の女性、
今は大成功して2人とも独立してます!
一人はライター界隈で超大物になり
もう一人はインスタ界隈で女王になってます。
多分、あなたがフォローしている中に
いるかも知れないです笑
彼女らは、僕から離れた後、
さらに違う人にコンサルを受けて
爆速で僕を抜いてったんです…
いまだにその方は
僕経由のマイスピー(メルマガスタンド)を
契約して発信を続けてくれています。
彼女らの独立のきっかけ、
最初の一歩を作れたことだけが
唯一の自慢です笑
ただ、
僕が教えた人は
どんどん背中が見えなくなっているのに
僕は一向に芽が出ない…
どうしたら良いいんだ?
何が足りないんだ?
5万、10万の教材を買ってみたけど
何にも変わらない。
大手が新作を出せば
「これで行けるかも?」と
期待感を持って買い漁る。
でもやっぱり同じ、結果は出ない。
こんな感じで自己投資はしてきたけど
全く進歩しませんでした。
多分、この時点で「情報」というものに
費やしたお金は合計で150万くらいです。
「もうオレ無理かもしれん…」
努力に反比例するように
結果が出ないから
半ば諦めたように
僕は情報発信の世界から身を引きました。
(1年半ほど見る専になります)
情報発信の再開とコンテンツ販売との出会い
2023年12月
僕はXアカウントを再開します。
見る専だった1年半のうちに
TwitterはXに変わり、
コンテンツ販売が流行ってました。
長文ポストが書けるようになり
課金すればBLUEチェックマークも付くと。
まさに浦島太郎の状態でしたが、
面倒な仕組みもいらないし
商品も簡単に出せるということで
再挑戦することに。
今回はしっかりとコンセプトを決めて、
自分がやってきた
・営業
・セールス
・ライティング
・マーケティング
その辺の知識を
「コンテンツ」という形にして
値段をつけて売る、
ということにチャレンジ。
X開始3日目にあっさり0→1達成!!
そして3ヶ月後には
月収16万を達成しました。
数年前の、あの仕組みで苦労してたのは
一体なんだったんだ?
ってくらい、順調に進んでいます。
それだけやることを
シンプルに絞ったんですよね。
あれもこれも手を出すんじゃなくて、
シンプルに
”コンテンツを作って→売る”
たったこれだけです。
ただ、現職の営業の方も忙しいし
副業の時間はなかなか取れないので
今はそんな副業サラリーマンに向けて
「超効率的に」30日でローンチして稼ぐ、
というコンセプトで発信しています。
僕の発信にかける信念・想い
僕は過去はひどいものだったけど、
今は営業の仕事も楽しんでます。
会社のメンバーとの関係も良いし
得意先の人とも仲良くやっている。
世の中の会社員では珍しく
仕事を楽しんでるんですよね。
副業としてビジネスはやっていますが、
別に脱サラしたいとか
会社を辞めたいとは思ってません。
なので、
このブログのコンセプトは
Hybrid Career
(ハイブリッド キャリア)
ビジネスで得た知識を
会社の仕事で活かす
↕️
会社での経験・知見を
ビジネスの成果に繋げる
シンプルに
「会社の仕事も上手くいって、
ビジネスも順調なら幸せじゃないですか?」
「そんな人生キャリアを作っていきましょう」
というコンセプトです。
ビジネスって、原理原則は同じ、
どの事業でも共通なんですよね。
僕がやってる営業という仕事も、
- 人を集めて
- 商品の価値を伝えて
- 販売する
これだけです。
ビジネスの本質ですよね。
これがわかっていれば、
営業でもコンテンツ販売でも
同じことをやっていけば
成果が必ず出るんです。
例えば、
美女を使って
僕の会社の売上を爆増させたり
マクドナルドのような
大企業のマーケティング事例を
自分のビジネスに活かすこともできます。
こんなのは知識なんですよね。
知っている知識を
会社の仕事で使うか?
ビジネスに応用するか?
の違いです。
こういう情報をうまく使っていけば
人生キャリアを豊にしていけますよね。
更なる成長を求めて…
会社の仕事も
副業のビジネスも
ようやく順調になってきましたが、
まだまだ道の途中です。
今も130万円を払って
ある方のコンサルを受けています。
コンサルを受けるようになった経緯は
また別のブログで紹介しますが、
とにかく今は
迷いがなくなった状態ですね。
やるべきことが明確になり
進むべき方向を示してもらっています。
打ち合わせで
一緒に戦略を練ってもらった時に、
3ヶ月後の副業収入100万円が
目の前に見えたんですよ。
しかも明確に。
逆に、今までのように
ちょこちょこ数万円の教材を買ったり
色んな人を見て誘惑されていたら
現状から成長するスピードはノロノロで
大きな変化もなかったはずです。
Hybrid Career
という幸せな人生キャリアを
送れる人がどんどん増えるように、
僕もまだまだ学び続けますし
このブログの中で共有していきますね。